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セヴシック

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満月までは、まだ遠いけれど
突然の響也×かなで

コルダ4軸、響也エンド後
響也、律の親密度高め
星奏で兄の影を感じながら響也がもやもやして、かなでさんが男前なお話。

直接的な描写はありませんが匂わせる描写があります。
R-15くらいです。そしていつもより長め





「満月までは、まだ遠いけれど」




「響也、こっちこっち!」
「わかったから、引っ張んなって」
 まだ少し肌寒い空の下、大勢の生徒が大講堂の前に列を成していた。すでに涙ぐむ女子生徒や、それを見てからかう男子生徒、真剣な顔をして大講堂の出口を見つめる生徒。生徒達は様々な顔をしている。
 今日は星奏学院の卒業式。それはつまり、律や大地、オケ部の先輩たちとの別れの日である。響也は2年の夏に星奏学院に転校してきたため、実質先輩たちとは1年弱の付き合いしかなかったが、それを感じさせない程度には別れを惜しく感じていた。
 夏のコンクールにジルベスターコンサート。普段口にはできないが、先輩たちには世話になった。そして今度は自分たちがオケ部を支えていかなければならないと、響也はしみじみとしながら手を引かれていた。
 響也の手を引くのは、ジルベスターコンサートの後に幼馴染から恋人になった小日向かなでだ。遠慮なくその手を引っ張る彼女に苦笑しつつも、その温もりを愛しいと思った。
「小日向先輩、響也先輩、こっちです」
 前方に手を振る見慣れた男子生徒が見えた。オケ部の後輩である水嶋悠人だ。ハルと呼ばれる彼の周りにはオケ部の生徒がすでに集合している。
「もう出てきますよ」
 式が終了したのか、大講堂からは拍手の音が聞こえた。扉が開かれ、卒業生が並んで出てくる。
「律くんも、大地先輩も卒業しちゃうんだね……」
「そりゃそうだろ。三年なんだから」
「響也は寂しくないの?」
「まあ、多少は」
「あ、先輩方、如月部長と榊先輩です」
 ハルが言うように、扉から律と大地が出てきた。その途端、扉近くにいた女子生徒たちから歓声があがる。律の表情は変わらず、大地は笑顔を振りまいている。
「律くん、あんなに囲まれてるのに無表情だ」
「榊先輩は相変わらずですね」
「これじゃ時間かかるんじゃねえの?」
「そうかもしれませんね」
 他の在校生たちが比較的スムーズに進んでいく中、律と大地は列のあちこちから声をかけられ、一々それに対応していた。真面目な律と気さくな大地らしいと、響也は人ごとのように眺めていた。
「如月部長、榊先輩、ご卒業おめでとうございます!」
遅くはなったが律と大地が無事合流し、久しぶりに新旧揃ったオケ部の面々が集まった。
「ああ、ありがとう。だが、俺はもう部長ではない。部長は響也だ」
「如月部長、わかってますって! でもなんていうか、俺の中で部長は永遠の部長というか……もちろん響也先輩も部長なんですけど!」
「それ、わかるかもしれない。如月部長は如月部長っていうか」
 律がオケ部のメンバーから慕われているのは知っていた。だが、こうも目の前で兄がもてはやされるのを見るのは面白くなかった。奴らが悪気を持って言っているのではないことはわかっている。それでも、比べられているようで苦しかった。
「はいはい、そこまで。律の言う通り、もう律は部長じゃないんだから、お前らしっかりやるんだぞ」
「はーい」
「如月部長、オレ、頑張ります!」
「先輩、卒業しても遊びに来てくださいよ」
 あちこちで卒業を祝う声、惜しむ声が聞こえる。オケ部で卒業生を送る会はもう終わっているため、おそらく全体でオケ部が集まるのはこれが最後だ。それを皆わかっているのか、在校生は中々卒業生たちを離そうとしなかった。
 しばらくして式後の興奮も収まり、卒業生たちは最後のHRを終えるために各々の教室へと向かっていった。残された在校生たちも、別れを惜しみながらそれぞれの教室へと戻る。
「かなで、オレたちも戻るぞ」
 声をかけたが、反応はない。
「って、おまえ、泣いてんのか?」
「……泣いてない」
 先ほどまで笑顔で卒業生を見送っていたかなでは、その瞳を潤ませていた。
「嘘つけ。バレバレだっつの」
 ずっと我慢していたのだろうか。ついにその頬に涙がつたったと思うと、次から次へと溢れ出して頬を濡らした。
「だって……! さび、しいよ……」
 こういう別れの時、たいていの場合かなでは泣くのだ。幼稚園の時も、小学生の時もそうだった。中学生の時だって、と思い出そうとして響也はそれを止めた。代わりに、変わらない幼馴染の頭を軽くなでた。
「かなで、袖で拭くなって。ほら、ハンカチ貸してやるから」
「うん、ありがと…」
 ハンカチを手渡すと、かなではごしごしと目のあたりをこすった。
「本当に卒業しちゃうんだね。大地先輩も、律くんも」
「そうだな……」
 先ほど止めたはずの記憶が勝手に再生される。中学の時の律の卒業式、かなではバカみたいに泣いていた。律くん、律くんと言って。
 天を仰ぐと、卒業式を祝うように空は澄んだ色をしていた。そしてその澄んだ空にぽっかりと、浮いたように不完全な月が見えた。




 今日は休日であるが、響也は午前早くから部室を訪れた。今日はオケ部の練習日だ。
 卒業式から約一か月が経ち、新学期が始まった。入学式での演奏会を終えたものの、次は定期演奏会が控えている。次に演奏する曲の候補をリストアップしながら響也は紙パックのジュースをすすった。
 音楽高校というだけあって、星奏学院オーケストラ部は事あるごとに演奏に駆り出される。それに次いで、定期演奏会を季節ごとに開き、コンクールにも代々参加するわりと忙しい部活だ。
 ただの一部員として演奏していた時はさして気にならなかったが、部長となると演奏以外の様々な雑務をこなさなければならず、これが中々骨を折る作業だった。演奏する曲を決めることはもちろん、定期演奏会の会場の手配やパートリーダーの選出などやらなければならないことは多岐に渡った。これを涼しい顔で行っていた律と大地を改めて見直した。
 だが響也とて部長を任された以上、いい加減にするわけにはいかない。律にできていたことを自分ができないのは癪だった。
 今のところ、上手く部活を回すことができていると思う。律ほどとは言わないまでも、オケ部のメンバーからもそれなりに信頼されている。それは多分、かなでの力によるものも多いのだが。
 残り少なくなったジュースのストローをくわえながら、響也はリストアップされた曲の一つの楽譜を机に広げた。今年も多くの新入生が入部したため、楽器の編成を一から見直す必要がある。楽譜をめくりながら編成を考えていると、部室の戸が開いた。
「響也先輩、おはようございます。随分早いですね」
「定期演奏会用の曲決めようと思ってな。この前、いい曲見つけてさ」
「入学式が終わったと思ったらすぐ定演ですもんね。僕も何か手伝いますか?」
「そうだな……、じゃあそこの希望楽器アンケート、楽器ごとにまとめといてくれ」
「わかりました」
 紙をめくる音と書く音だけが部室に流れた。紙をめくる音が止まり、響也は視線を感じて顔を上げた。
「なんだハル。気になる一年でもいたか?」
「いや、違います。なんだか響也先輩、如月部長みたいだと思って。……すみません、響也部長でしたね」
「先輩でいいって」
 響也はほぼ空になったジュースをわざと音を立てて吸った。液体のかわりにストローからは空気が送られてきて、紙パックがへこんだ。
「部長、はしたないですよ」
「はいはい」
 ストローから口を離すと紙パックはその形を取り戻したが、完全には元通りにはならずに少しだけへこみを残していた。
 練習の時間が近づき、30分前にはかなでが部室を訪れた。曲目についてハルの意見も聞きながら、二人は意見を交えた。ハルは響也を部長と言ったり、先輩と言ったりして、それを聞いてかなでは笑っていた。
他人から見ればおそらく気にしすぎだと笑うだろう。しかし、響也にとって兄、律とは長らく自分の手の届かない、敵わない存在であり、すぐそばにある見たくなくても目に入る壁だった。特にヴァイオリンと、幼馴染に関しては。
去年の夏のコンクールやジルベスターコンサートを経て、律の努力や苦悩を知りいくらか彼に対する劣等感は和らいだ。しかし、幼いころから根付くそれはいきなりすっと消えるはずもなく、触れられれば過敏に反応するほどにはまだ残っている。
「よし、今日はここまで。定演まであんまり時間無いからなー。各自、練習を怠らないように」
「なんか連絡ある奴いるか? ……無いな。自主練したい奴はオレがいるまでは音楽室使っていいから。じゃあ、解散。」
 解散という言葉の後も、ほとんどの生徒は音楽室に残って自主練をしたり、相談をしたり、おしゃべりを楽しんだりと様々だ。響也もまだ用がある。
「須永先生、ちょっといいですか」
「ん、なになに?」
「定演でやる曲目なんですけど」
 響也はかなでと話し合って決めたいくつかの曲を須永にも相談した。新入生が入って初めての定期演奏会であるから、新入生のモチベーションを保つためにも大掛かりな編成をしたい等、曲を決めた理由も混ぜて話した。いくつかのアドバイスをもらい、曲目は順調に決まった。
「俺が気になったのはそんな感じかな」
 須永は響也が渡した楽譜を順に見ながら言った。
「はい、ありがとうございます」
「いやー、さすが如月くん。いい曲目だと思うよ。兄弟そろって優秀だなあ」
 練習前に打ち消したはずの感情が再度湧き上がってくるのを抑えようと、手を強く握った。
「兄弟そろってとか、そういうのいいんで」
「褒められたら素直に喜んどくもんだよ?」
 確かにさっきの言葉は純粋な褒め言葉だったのだろうが、響也にとっては罵倒と同じだった。如月律の弟という、ここではどこまでも付きまとう肩書を握りつぶしたくなる。
「別に、嬉しくないです」
「え?」
「……じゃあ、オレはこれで」
 作り笑いで須永に挨拶をして、響也は足早に音楽室を去った。音楽室を出てから仏頂面で歩いていると、後ろから呼ぶ声がした。
「響也! 今日、一緒に帰るって言ってたよね?」
「あー……、悪い。今日は先帰るわ」
「どっか具合でも悪い?」
「そういうんじゃないから、心配すんな」
「うん……」
 今の状態で次に律の名前を聞けば、オレは爆発してしまうだろう。高校三年にもなってそんな醜態をさらしたくはなかった。心配そうなかなでの顔を直視するのがためらわれて、響也は半身だけ後ろを向いて手を振った。
 学院を出てハラショーに寄り、そのまま寮に帰る気もせず、響也は港の見える丘公園に向かった。
 休日の午後ということもあり公園では親子連れやカップル、犬を連れた老人など多くの人で賑わっていた。響也は一人、眺めの良い柵に肘をのせ帰りしなに買ったジンジャーエールを飲んだ。炭酸の刺激を味わいつつ、横浜の港をぼんやりと眺めていた。




 寮に帰ると、人気の無いラウンジが響也を迎えた。尤も、律が卒業した今寮にいるのは自分とかなで、そして支倉の三人だけであり、誰もいないということは珍しくはない。
 人がいない代わりに机の上に一枚の絵ハガキが置いてあるのに気づく。外国の風景だろうか、レンガや石造りの街並みがプリントされていて、その隅には響也、かなでへと几帳面な文字があった。
 そこまで見れば差出人は決まっているようなものだ。ハガキを裏返そうとした手を止め、そのままにして自分の部屋に籠った。
 携帯ゲーム機の電源を入れ、それを持ち響也はベッドに寝転がる。最近触っていなかったからか、何をどこまで進めたのかあまり覚えていない。RPGでは致命的だ。記憶が曖昧なまま面白いのか面白くないのかわからずにダラダラとゲームを続け、気づけば時計は夕食の時間を示していた。キリがいい場面でも無かったが、特に何も思わずにゲーム機の電源を落として食堂に向かった。

「あ、響也お帰り」
「おう、ただいま」
 食堂にはすでにかなでと支倉がいて、三人分の食事が用意されていた。今日の献立はいつものご飯と味噌汁、唐揚げとたっぷりのキャベツの千切り、そしてほうれん草のおひたしだ。
「おっ、唐揚げじゃねーか。かなで、残していいぞ」
「小日向、私にももちろんくれるんだろうな?」
「二人とも、なんで残す前提……? あげないからね」
 他愛の無い会話を交わしながら、三人はにぎやかに夕食を食べていた。好物の唐揚げが出てきたことで多少響也の機嫌は回復し、どことなく居心地の悪い一日が最後に緩和されていく。そう思っていたのだが。
「響也、そういや律くんからのハガキ見た?」
 手が強張り、唐揚げが箸から逃げた。
「……ああ、見たけど」
「写真キレイだったね! 外国の街並みって憧れるなあ」
 目を輝かせて喋るかなでを見るのが面白くなく、適当に相槌を打ちながら響也は目の前の唐揚げに集中した。
「やっぱり律くんすごいなあ。外国で修行するって、中々できないよね」
「星奏学院に来るときも一人出てきたんだろう? たいした行動力だ」
「私も大学入ったら留学とか考えよう。あ、その前に卒業旅行で外国行くのどうかな?」
「お、旅行か。いいね」
「律くんに案内してもらおう! 響也も一緒に行こう? 律くんも喜ぶよ」
「……行かない」
「え?」
「お前が行きたきゃ行けばいいんじゃねえの」
 今日でなければ、笑って流せていたのかもしれない。だが、もう無理だった。
「響也――」
「ごちそうさま」
 荒々しく椅子から立ち上がり、かなでを視界に入れないようにして食器を片付け、響也は食堂を後にした。せっかくの唐揚げの後味は最悪だった。



「追いかけないのか?」
 響也が食堂を出て行った後、二人は気まずい雰囲気のまま取り残されていた。どうやらそう思っていたのはかなでだけのようで、ニアはごく普通の穏やかな顔をしていた。
「何か、どうしたらいいのかなって。それに、まだご飯食べ終わってないし……というか、なんでニアはにやにやしてるの」
「可愛い嫉妬じゃないかと思ってね」
 他人事のようにニアは笑う。
「律くんはお兄ちゃんみたいな存在で、響也は特別だって、いつも言ってるのに」
 星奏学院に来てから、響也の律に対する態度はいくらか柔らかくなった。だが、今日のように不機嫌な日は律の名前を出すと響也はあからさまに嫌な顔をする。かなでにとっては律も響也も大切な存在で、だからこそ律の思い出を響也と話したいこともある。それは贅沢なのだろうか。
「イマイチ自信が持てないようだな、君の恋人は。こと、君に関しては」
「結局、私は何をしてあげるのがいいのかな……」
「それなら、とっておきがあるじゃないか」
「え?」
 首を傾げるかなでにニアは耳打ちをした。途端に、かなでの顔が真っ赤に染まる。
「ニ、ニア!」
「その反応、やはりまだだったんだな。如月弟も可哀そうに、それでは自信が持てないのもわからなくはない。それとも、あちらが意気地なしと言うべきか」
 いたずらな笑みを浮かべニアはかなでに再度詰め寄った。
「君も如月弟が好きなんだろう? 丁度いいじゃないか」
 そう言われてかなでは押し黙った。そういうことをかなでも敬遠していたわけではない。なんというか、そうなるタイミングが無かったのだ。
 ニアはかなでの肩を叩いて手を振り、食堂を出た。
「じゃあ、健闘を祈っているよ」
 彼女が去ってから、かなでは一人残っていた食事に手をつける。ニアに言われたことが頭の中をぐるぐると回り、唐揚げの味はほとんどわからなくなっていた。



 最悪だ。
 元々虫の居所が悪かったのもあったが、これではかなでに八つ当たりしたようなものだ。
「あー、タイミング悪すぎだろ……」
 ハルに律に似ていると言われなかったら、須永に兄弟そろってと言われなかったら。そして律のハガキが今日届かなければ、おそらくかなでにあたることもなかった。どうしてこうも間が悪いのか。
 自己嫌悪に苛まれ、響也はベッドに転がった。風呂にもまだ入っていないが、今日はもうすべてを忘れて眠ってしまいたかった。布団にもぐり目をつぶったが、気が高ぶっているせいか眠気はほとんど感じない。
 ドアをノックする音がして、響也は身を起こす。多分、かなでだ。
 こうして部屋を訪ねてきてくれたことが嬉しくもあり、こんな情けない自分をさらしていることが恥ずかしくもあった。
「響也? 入っていい?」
「……」
 返事をためらっていると、ドアは勝手に開いた。かなでは響也を一瞥して、断りもなく隣に座った。
「さっきはどうしたの? ……律くんの話は嫌?」
「そういうわけじゃねえ。今日は何か、色々重なって……ごめん」
 謝りはしたものの、間を流れる空気は依然としてぎこちない。
「何かあったの?」
「……別に」
「話してよ。話したらスッキリするかもしれないし。私も響也が何を嫌なのか知りたいから」
 すぐ隣で顔を見つめられ、響也は言葉に詰まる。この距離では逃げられないし、例え逃げ場があったとしてもかなではどこまでも追いかけてくるだろう。
「ホント、お節介だよなあ、お前」
「響也のことだからだよ?」
 かなでは響也の手を握った。その目は真剣で、どこにも他意が無くて、見ていられなかった。
「わ、わかったよ。話せばいいんだろ、話せば」
 響也に対する気持ちを、かなではいつだってまっすぐに伝えてくる。急に恥ずかしいようないたたまれないような気持ちになって、響也は洗いざらい不機嫌な理由を白状した。その間、かなではずっと手を握ったまま離さなかった。
「似てるとか似てないとか、兄弟だから、とかさ。なんでいちいち律が出てくるんだよ、そんなに俺は律と比べてダメに見えるのかよって、今日は特にすげー感じたんだ。言ってるやつらも別に悪気は無いってわかってる、でもやっぱさ、ムカつくんだよな。あー、ガキみたいなこと言ってるな……オレ」
 星奏にいる以上、今後も比較され続けるのだろう。それを承知でオケ部の部長を引き受けたはずだった。
「部長になってから、やっぱ律ってすごかったんだなあと思ってさ。未だに、律のこと部長って言うやつも多いし。……かなわねえよ」
 部長を任され、コンクールに出場し、ようやくヴァイオリンもそれなりに弾けてきたと感じている。それでも、どこか律に対する劣等感はぬぐえなかった。
 かなでに関してもそうだ。幼馴染よりも進んだ特別な関係になったと言うのに、かなでの自分に対する想いは幼馴染の延長なのではないか、気づいていないだけで本当は律のことが好きなのではないかと考えてしまう日もある。
「響也、一年生からどう思われてるか知ってる?」
「知らないけど」
「響也部長ってかっこいいですよね! って言うよ。みんな。男の子も女の子も」
「……」
「小倉先生はなかなか骨のあるやつだっていつも言ってる」
「……へえ」
「須永先生は如月仕事早いから助かるって」
「……」
「それに」
「わかった、もういいから!」
 別に褒めてほしいわけでもなかったのだが、こうもストレートに言われるとむずがゆい気持ちになる。
「それに、私も響也が頑張ってるの知ってるよ」
「はいはい」
「私にとって、律くんも響也も大切なの。でも、律くんは幼馴染で、響也は……恋人だよ。私は、響也が好き」
「……うん」
 これはかなでも少し恥ずかしかったのか顔を赤くしながら言った。響也も彼女の顔を直視できず、赤らんだ顔を下に向けた。かなでの手と自分の手が重なっているのが見える。
 かなでの手が離れたと思った瞬間。響也は唇を奪われていた。少しだけ唐揚げの味がすると思ったが、いつもとは違う感触にそんな考えは吹っ飛んだ。
 いつもの触れ合うようなキスではなく、長く、頭の芯が溶けていくようなキスをされている。響也は混乱しながらかなでをやんわりと引きはがした。
「ど、どうしたんだよ、急に……」
 唇を離してかなでを見ると、彼女の顔は真っ赤だった。
「響也は、嫌?」
 何がと言おうとして、衝撃を受けてベッドに倒れこんだ。かなでがその上に覆いかぶさり、響也を見下ろしている。
「その、こういう、こと……」
 一気に血が顔に集まってくる。おそらく、響也は今かなでと変わらないぐらいに顔を染めているのだと思う。
「お、おおお、お前意味わかって言ってんのか?」
「当たり前でしょ! ……響也だから、言ってるんだけど」
 予想だにしなかった展開に、響也の頭はなかなかついてこなかった。そもそもどうしてこうなったのか、響也はスピードの上がった心音を整えようと一から順番に考えていた。
 まず、ケンカした。一方的に響也が切れていたようなものだが。そしてかなでが部屋に来て、なんで怒ったのかを話した。かなでは響也を褒めてくれた。それで、いつもと違うキス。で、押し倒された。というか体勢逆だろ、とかなでを見上げる。考えれば考えるほどわからなくなった。
「響也にしてあげられること、ないかなと思って……そしたら、ニアが」
 そこまで言って、かなではしまったという顔をして口を噤んだ。
 ……支倉。
 余計なことを吹き込んでくれたものだ。かなでが望むのならいっそ乗ってしまおうかとも思ったが、奴が一枚噛んでいるとなれば話は別だ。支倉だけでなく誰にも自分とかなでのペースを崩されたくは無かった。
 そう考えると、頭は段々と冷静になった。よく見ればかなでの顔は煙が出そうなほどに火照っていたし、肩も手も小刻みに震えている。とりあえずこの体勢は心臓に良くない。響也はかなでを押しのけて上体を起こした。
「かなで、支倉に何言われた」
 再び二人で向き合って座る。かなではまだ赤みのひかない顔を横に振った。
「ほら、別に怒んねえから。オレだってさっき色々白状しただろ?」
 小さくかなでは唸って、それから話し始めた。
「響也に何をしてあげればいいかなって、ニアに相談したら、その……。響也が不安がるのも無理ないとか、可哀そうとか言うから」
「あいつ……」
「もしかしたら、私も響也に我慢させちゃってるんじゃないかって。私も別にそういうこと避けてたわけじゃないし、響也がしたいならって……」
 たまらず、響也はかなでを引き寄せ胸の中に閉じ込めた。
「響也?」
 けしかけられたとはいえ、自分のために何かしようと動いてくれたことが嬉しくて、愛おしかった。こんなにもストレートに好意を伝えてくれるのだ。愛されているのだと、少しぐらいうぬぼれてもいいのかもしれない。
「何か、色々ごめんな。……サンキュ」
「う、うん。……でも、本当にいいの?」
「いいも何も一応ここ寮だし。流石にな」
 男子棟に女子が入るのも、本来であれば禁止なのだ。行為に至るのは流石にまずい。寮にいるもう一人が面白がって聞いているとも限らない。誰かにそそのかされてではなく、二人でそれを決めたいと思うのだ。
「そ、そうだよね」
 おもちゃを取り上げられた犬のようにしょんぼりとした声を出して、かなでは俯いた。誤解させてはいけないと響也は慌てて次の言葉を紡ぐ。
「今度休みの日さ、旅行行こうぜ。二人だけで」
 二人の関係も、もう少し近づける努力をしてみてもいいのかもしれない。もちろん部活が優先だが、少しぐらい息抜きしたっていいはずだ。
「お前の好きなとこ。……泊まりで」
「うん」
 先ほどとはうって変わって、腕の中で顔を上げかなでは照れたような笑みを浮かべる。その笑顔が眩しくて、響也はかなでを抱きしめる手に力をこめた。
 その時、携帯が鳴る音がして二人は同時にそちらを見た。響也の携帯の画面には如月律の文字が表示されている。
「律くんだ」
今日は見るのも嫌だったはずの名前だが、不思議と響也の心は落ち着いていた。かなでからは名残惜しそうな顔をされたが、響也は腕をほどきかなでの隣に座った。通話ボタンを押すと、いつもと変わらない律の声が聞こえてきた。
「はい」
「もしもし、響也か?」
「そうだけど」
「元気にしてるのか」
 律からの連絡に驚きながら、元気か、そっちはどうだと月並みな会話をした。律と電話をしたのはいつぶりだろう。律が一人星奏に行った時でさえ、一度も連絡はしなかった。
「で、どうしたんだよ」
「どうした? 何がだ?」
「何がって、何かあったから連絡したんじゃないのか?」
「……特に用があったわけじゃないんだ」
 律の表情の読み取れない声が、少しだけ笑った気がした。
「そうだな、声が聞きたかっただけなのかもしれない」
「は?」
 要するに寂しかったと、そう言いたいのだろうか。
「日本語が身近に無いというのは、どうやらそれなりに堪えるらしい」
 相変わらず抑揚のつかめない声で喋りながら、律は素直に告白した。
「……律でもそんなこと思うんだな」
律の意外な面を垣間見ることで、また少し、響也は兄に対するわだかまりがほどけていくのを感じた。
「そうだ、かなでとは仲良くやっているのか」
「まあ、ぼちぼち」
「ぼちぼちって何、響也」
 かなでが不満そうに声をあげた。
「かなでもそこにいるのか?」
「え、あー……うん。……替わるか?」
「いや、大丈夫だ。二人とも元気そうで良かった。そろそろ切る。急に連絡してすまなかった。じゃあ」
 電話が切れる、そう思う前に響也は律を引き留めた。
「その、律」
「なんだ?」
「そっちも……頑張れよ」
「……ああ」
 今度こそ電話は切れて、響也は携帯を机に置いた。大人しく座っていたかなでが肩にもたれかかる。
「律くん、元気そうだった?」
「元気なんじゃねえの」
「そっか」
 律が寂しそうにしていた、とかなでに伝えるのはやめておいた。おそらく、それを悟られないようにかなでと話さなかったのではないかと思ったのだ。
「というか、お前もそろそろ戻れよ? 風呂まだ入ってないだろ」
「はーい」
 やけに上機嫌な声で返事をし、かなではベッドから立ち上がりドアを開ける。いつもより長く感じた一日がようやく終わりを迎えようとしていた。
 まだまだ自分は子供だ。今日、それを思い知らされた。しかし、そんな自分を自覚し、ほんの小さなものかもしれないが前に進めたのではないかと思う。律のことに関しても、かなでに関しても。
「響也、おやすみ。また明日ね」
「おやすみ」
 また明日も、その歩みを止めないようにと、響也は改めて思ったのだった。
 ふと窓の外を見ると、夜の空に月が見える。月は満月のなりそこないのような、なんとも言えない形をしていたが、柔らかく辺りを照らしていた。

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