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茨の森 1
「眠れる森」
白い無機質な壁に包まれた横浜天音学園の理事長室の中で、冥加玲士はパソコンを眺めていた。朝のメールチェックを済ませ、今日のスケジュールを確認する。函館天音学園顔合わせと、時間と共に予定が書きこまれていた。今夏開催される、全国学生音楽コンクールのための打ち合わせだ。
本来ならば、横浜天音学園単独でこのコンクールに出場する予定だったのだが、何の気まぐれか彼の秘書―正確には冥加ではなく横浜天音学園の本来の理事長の秘書なのだが―である御影諒子が函館天音学園と合同でアンサンブル部門に出場してもらうという旨を伝えてきた。冥加は反対したが本校である函館天音学園の意向に逆らうことはできず、それで函館天音学園の小うるさい理事たちを黙らせることができるのなら仕方がないと受け入れたのだ。
ノックの音がして、冥加はパソコンから目を離すことなくそれに応える。失礼いたします、と緊張した面持ちで部屋に入ってきたのは、七海宗介だった。彼はこの横浜天音学園の一年で、冥加が部長を務める室内楽部のメンバーだ。また、本人にはけして口にしたことは無いが、冥加が目をかけている生徒の一人でもある。
「冥加部長、お呼びでしたか?」
「今日が函館天音学園との顔合わせの日だという事は知っているな」
「はい。先日お聞きしました」
「奴らには正午過ぎにエントランスに来るよう言ってある。理事長室まではお前が案内しろ」
「は、はい!わかりました」
七海が上ずった声で了承する。本当はこの学園に立ち入られることもあまり良い気分ではないが、合同名義で出るからには不備があっても面倒なことになる。
「後、天宮にも理事長室に12時に来いと言っておけ」
それだけ言って、冥加は七海を下がらせた。七海が部屋を出た後、冥加は函館天音学園から送られてきた、アンサンブルメンバーの書類に目を通した。書類には見知った名前がいくつか書かれていた。その名前を見て、冥加は少しだけ眉根を寄せた。
何のために彼らをよこしたのか。あの男の思考を考えるなど意味がないと、冥加は書類をパソコンの脇に置いた。パソコンに目を戻すと、冥加はやるべき仕事に手をつけた。
今日二回目のノックの音がした。七海が函館天音の生徒を連れやってきたようだった。
「入れ」
扉が開く音がして、七海と函館天音の生徒が理事長室へと入ってきた。
「よく平然とここに来られたな。一先ずは歓迎する」
椅子から立ち上がり、冥加は扉の方を見た。函館天音の生徒は三人。幼少の頃を知る血のつながらない従弟と、背の高い男子生徒。そして。
「小日向かなで…?」
冥加は亡霊でも見るように、もう一人の生徒を見つめた。函館天音の制服を着た女生徒は、紛れもなく小日向かなでだった。
「なぜ、貴様が」
小日向は不思議そうに冥加を見返した。その表情に、疑問以外の色はない。言葉を失ったままの冥加に小日向は口を開く。
「もしかして、私のことを知ってるんですか」
途端に、彼女の顔が焦りに染まった。
「教えてください」
「なんだと?それはどういう意味だ」
懇願するようなそのまなざしが冥加の胸をざわつかせた。
「そんな話はどうでもいいよ」
書類上は彼の従弟である支倉宇宙が早く話を進めてくれとばかりに会話を遮った。彼は早く本題を話せと冥加を急かす。小日向のことも気がかりではあったが、まずは本来の仕事である打ち合わせを進めるべく説明を始めた。コンクールは地方大会、セミファイナル、ファイナルの3回にわけて行われ、アンサンブル部門を合同で参加し、演奏曲二曲のうち一曲ずつを横浜と函館のメンバーそれぞれで演奏する。冥加は簡潔に説明を済ませた。
「僕らはブラボーポイントさえ集められればいい」
そういうことかと、冥加は理事長である男、自分の養父の企みに納得する。
「よくお前らはあの男の妄想につきあっていられるな」
天音学園の創立者であり理事長でもある冥加の養父は、妖精というものにひどく拘りをもっている。その妖精の源であるブラボーポイントなるものを集め、妖精の国へと行くと大真面目に考えている。そのために作られたのがあの函館天音学園の正体だった。
「あんた、妖精を信じないのか?」
支倉でもない、小日向でもないもう一人の生徒が口を出した。函館天音の生徒はその環境のせいか、誰も彼も妖精の存在を疑わない。なぜ見えもしない存在を受け入れることができるのか、その方が冥加にとっては奇妙だった。
「答える必要性すら感じないな」
「言い方がむかつくんだよ、お前は」
じろりと支倉に睨まれたが、冥加は怯むことなく視線を返した。これ以上はここにいる必要が無いと判断したのか、支倉が話を畳む。
「8月2日にホールに行けばいいんだろ。それじゃ」
返答を待つことなく支倉は扉を開けて外に出た。長身の生徒はよろしくと笑ってそれに続いた。最後に残された小日向は、冥加の方を何か言いたげに一瞥して、会釈をしてから二人の後を追った。
「小日向、かなで…」
どうして小日向が函館天音にいるのか。そして、彼女が口にした言葉。形容しがたい不快感が胸の奥に広がっていく。
「冥加部長?」
七海が心配そうに冥加に声をかけた。
「おまえも、もう下がれ」
「は、はい。失礼いたしました」
七海が部屋を出て間もなくして、ノックの音も無く扉が開いた。姿を現したのは横浜天音学園のアンサンブルメンバー、天宮静だった。
「天宮、ノックをしろといつも言っているだろう」
「ああ、ごめん。今度から気を付けるよ」
悪びれもせずに天宮が言う。
「あれ、函館天音の人たちは?」
「顔合わせならもう終わった」
「そうなんだ。まあいいか」
最初から興味が無いという態度を隠しもせず、天宮は話を続けた。そして、冥加に少なからず何かがあったことをその顔色から見抜いた。他人に興味が無い癖に、この男は妙に聡いところがある。
「冥加、どうかしたのかい。まるで幽霊でも見たような顔をしているけど」
いっそ、幽霊でも見たほうが冥加は驚かなかっただろう。
「幽霊などいるものか」
「そういうものかな」
机の上に置いてあった書類に気づいたのか、天宮はそれをまじまじと見つめた。表情に疎い顔が珍しく驚きの色を見せる。
「函館から来るのって、支倉たちだったんだ。じゃあ顔合わせはいらなかったね」
冥加は何も答えなかった。
「冥加、動揺しているの?」
すかさず、天宮は思ったことを口にする。
「…考え事をしていただけだ」
「そう」
いつもより反応の薄い冥加に飽きたのか、天宮はじゃあと言って脈絡もなくふらりと理事長室を出て行った。理事長室に沈黙が訪れる。定まらない頭の内を整理しようと、冥加はオーディオのスイッチを入れた。
午後に入りしばらくして、御影が理事長室を訪ねてきた。
「打ち合わせは無事に済んだかしら」
「ああ」
二人は業務連絡を交わし、余計なことを一切話さない。本当は問い詰めたいことが山ほどあったが、この女が正直に答えるわけがないと冥加は自制した。御影はアレクセイの傀儡だ。お互いそれを知っていて立場を利用しあっている。
「後、これを渡すのを忘れていたわ。函館天音の生徒の追加の書類よ」
御影が手渡してきた書類には、小日向かなでと、はっきりとそう書かれていた。その書類は空白ばかりで、名前以外は専攻であるヴァイオリンしか書かれていない。
「こんな書類をどうしろと?」
「もう函館の方で受理はしてあるから、判子だけ押してくれればそれで」
「説明しろと言っている」
語気を強めたが、御影は涼しい顔を崩さない。
「ごめんなさいね。この後、あの子たちのことで色々やらなければいけないことがあるの」
案の定、小日向の件に関して御影は何一つ答えるつもりはないらしい。冥加は眉間に皺を寄せて御影を睨んだ後は早々に彼女を下がらせた。
オーディオから眠れる森の美女のワルツが流れ出し、今の冥加の気分とは正反対の、優雅なメロディが彼の神経を逆撫でした。冥加は書類の小日向かなでという文字をもう一度見たが、何度見返してもその文字が変わることは無かった。
「函館天音にだけは、行くべきではなかった」
茨に囲まれた城に、招かれざる客は入ることができない。
冥加さんの「函館天音にだけは行くべきではなかった」という台詞がどういう意味なんだろうと考えていたら何やら長い話になりました。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
でもやっぱり冥加視点難しくて頭抱えてます。
口調やら思考やら気にすること多すぎてでもそこが好きです。
「眠れる森」
白い無機質な壁に包まれた横浜天音学園の理事長室の中で、冥加玲士はパソコンを眺めていた。朝のメールチェックを済ませ、今日のスケジュールを確認する。函館天音学園顔合わせと、時間と共に予定が書きこまれていた。今夏開催される、全国学生音楽コンクールのための打ち合わせだ。
本来ならば、横浜天音学園単独でこのコンクールに出場する予定だったのだが、何の気まぐれか彼の秘書―正確には冥加ではなく横浜天音学園の本来の理事長の秘書なのだが―である御影諒子が函館天音学園と合同でアンサンブル部門に出場してもらうという旨を伝えてきた。冥加は反対したが本校である函館天音学園の意向に逆らうことはできず、それで函館天音学園の小うるさい理事たちを黙らせることができるのなら仕方がないと受け入れたのだ。
ノックの音がして、冥加はパソコンから目を離すことなくそれに応える。失礼いたします、と緊張した面持ちで部屋に入ってきたのは、七海宗介だった。彼はこの横浜天音学園の一年で、冥加が部長を務める室内楽部のメンバーだ。また、本人にはけして口にしたことは無いが、冥加が目をかけている生徒の一人でもある。
「冥加部長、お呼びでしたか?」
「今日が函館天音学園との顔合わせの日だという事は知っているな」
「はい。先日お聞きしました」
「奴らには正午過ぎにエントランスに来るよう言ってある。理事長室まではお前が案内しろ」
「は、はい!わかりました」
七海が上ずった声で了承する。本当はこの学園に立ち入られることもあまり良い気分ではないが、合同名義で出るからには不備があっても面倒なことになる。
「後、天宮にも理事長室に12時に来いと言っておけ」
それだけ言って、冥加は七海を下がらせた。七海が部屋を出た後、冥加は函館天音学園から送られてきた、アンサンブルメンバーの書類に目を通した。書類には見知った名前がいくつか書かれていた。その名前を見て、冥加は少しだけ眉根を寄せた。
何のために彼らをよこしたのか。あの男の思考を考えるなど意味がないと、冥加は書類をパソコンの脇に置いた。パソコンに目を戻すと、冥加はやるべき仕事に手をつけた。
今日二回目のノックの音がした。七海が函館天音の生徒を連れやってきたようだった。
「入れ」
扉が開く音がして、七海と函館天音の生徒が理事長室へと入ってきた。
「よく平然とここに来られたな。一先ずは歓迎する」
椅子から立ち上がり、冥加は扉の方を見た。函館天音の生徒は三人。幼少の頃を知る血のつながらない従弟と、背の高い男子生徒。そして。
「小日向かなで…?」
冥加は亡霊でも見るように、もう一人の生徒を見つめた。函館天音の制服を着た女生徒は、紛れもなく小日向かなでだった。
「なぜ、貴様が」
小日向は不思議そうに冥加を見返した。その表情に、疑問以外の色はない。言葉を失ったままの冥加に小日向は口を開く。
「もしかして、私のことを知ってるんですか」
途端に、彼女の顔が焦りに染まった。
「教えてください」
「なんだと?それはどういう意味だ」
懇願するようなそのまなざしが冥加の胸をざわつかせた。
「そんな話はどうでもいいよ」
書類上は彼の従弟である支倉宇宙が早く話を進めてくれとばかりに会話を遮った。彼は早く本題を話せと冥加を急かす。小日向のことも気がかりではあったが、まずは本来の仕事である打ち合わせを進めるべく説明を始めた。コンクールは地方大会、セミファイナル、ファイナルの3回にわけて行われ、アンサンブル部門を合同で参加し、演奏曲二曲のうち一曲ずつを横浜と函館のメンバーそれぞれで演奏する。冥加は簡潔に説明を済ませた。
「僕らはブラボーポイントさえ集められればいい」
そういうことかと、冥加は理事長である男、自分の養父の企みに納得する。
「よくお前らはあの男の妄想につきあっていられるな」
天音学園の創立者であり理事長でもある冥加の養父は、妖精というものにひどく拘りをもっている。その妖精の源であるブラボーポイントなるものを集め、妖精の国へと行くと大真面目に考えている。そのために作られたのがあの函館天音学園の正体だった。
「あんた、妖精を信じないのか?」
支倉でもない、小日向でもないもう一人の生徒が口を出した。函館天音の生徒はその環境のせいか、誰も彼も妖精の存在を疑わない。なぜ見えもしない存在を受け入れることができるのか、その方が冥加にとっては奇妙だった。
「答える必要性すら感じないな」
「言い方がむかつくんだよ、お前は」
じろりと支倉に睨まれたが、冥加は怯むことなく視線を返した。これ以上はここにいる必要が無いと判断したのか、支倉が話を畳む。
「8月2日にホールに行けばいいんだろ。それじゃ」
返答を待つことなく支倉は扉を開けて外に出た。長身の生徒はよろしくと笑ってそれに続いた。最後に残された小日向は、冥加の方を何か言いたげに一瞥して、会釈をしてから二人の後を追った。
「小日向、かなで…」
どうして小日向が函館天音にいるのか。そして、彼女が口にした言葉。形容しがたい不快感が胸の奥に広がっていく。
「冥加部長?」
七海が心配そうに冥加に声をかけた。
「おまえも、もう下がれ」
「は、はい。失礼いたしました」
七海が部屋を出て間もなくして、ノックの音も無く扉が開いた。姿を現したのは横浜天音学園のアンサンブルメンバー、天宮静だった。
「天宮、ノックをしろといつも言っているだろう」
「ああ、ごめん。今度から気を付けるよ」
悪びれもせずに天宮が言う。
「あれ、函館天音の人たちは?」
「顔合わせならもう終わった」
「そうなんだ。まあいいか」
最初から興味が無いという態度を隠しもせず、天宮は話を続けた。そして、冥加に少なからず何かがあったことをその顔色から見抜いた。他人に興味が無い癖に、この男は妙に聡いところがある。
「冥加、どうかしたのかい。まるで幽霊でも見たような顔をしているけど」
いっそ、幽霊でも見たほうが冥加は驚かなかっただろう。
「幽霊などいるものか」
「そういうものかな」
机の上に置いてあった書類に気づいたのか、天宮はそれをまじまじと見つめた。表情に疎い顔が珍しく驚きの色を見せる。
「函館から来るのって、支倉たちだったんだ。じゃあ顔合わせはいらなかったね」
冥加は何も答えなかった。
「冥加、動揺しているの?」
すかさず、天宮は思ったことを口にする。
「…考え事をしていただけだ」
「そう」
いつもより反応の薄い冥加に飽きたのか、天宮はじゃあと言って脈絡もなくふらりと理事長室を出て行った。理事長室に沈黙が訪れる。定まらない頭の内を整理しようと、冥加はオーディオのスイッチを入れた。
午後に入りしばらくして、御影が理事長室を訪ねてきた。
「打ち合わせは無事に済んだかしら」
「ああ」
二人は業務連絡を交わし、余計なことを一切話さない。本当は問い詰めたいことが山ほどあったが、この女が正直に答えるわけがないと冥加は自制した。御影はアレクセイの傀儡だ。お互いそれを知っていて立場を利用しあっている。
「後、これを渡すのを忘れていたわ。函館天音の生徒の追加の書類よ」
御影が手渡してきた書類には、小日向かなでと、はっきりとそう書かれていた。その書類は空白ばかりで、名前以外は専攻であるヴァイオリンしか書かれていない。
「こんな書類をどうしろと?」
「もう函館の方で受理はしてあるから、判子だけ押してくれればそれで」
「説明しろと言っている」
語気を強めたが、御影は涼しい顔を崩さない。
「ごめんなさいね。この後、あの子たちのことで色々やらなければいけないことがあるの」
案の定、小日向の件に関して御影は何一つ答えるつもりはないらしい。冥加は眉間に皺を寄せて御影を睨んだ後は早々に彼女を下がらせた。
オーディオから眠れる森の美女のワルツが流れ出し、今の冥加の気分とは正反対の、優雅なメロディが彼の神経を逆撫でした。冥加は書類の小日向かなでという文字をもう一度見たが、何度見返してもその文字が変わることは無かった。
「函館天音にだけは、行くべきではなかった」
茨に囲まれた城に、招かれざる客は入ることができない。
冥加さんの「函館天音にだけは行くべきではなかった」という台詞がどういう意味なんだろうと考えていたら何やら長い話になりました。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
でもやっぱり冥加視点難しくて頭抱えてます。
口調やら思考やら気にすること多すぎてでもそこが好きです。
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